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最終更新日 2022年4月1日
「点字」 に触れたり見たりしたことはありますか。
点によって数字や文字を表す表記は、最近では駅のトイレやエスカレータの手すりなどにも設置されはじめています。またシャンプー容器の側面にきざみが入ったり、お札の凹凸、宅急便の不在配達通知票はヤマト運輸が考案し、クロネコにちなんだ「ネコの耳」型にカードにきざみ目がつけられています。
「触ってわかる」表記は、案外身近なところにもあります。
「点字」にまつわる興味深いエピソード満載のイベントに参加しましたのでシェアさせてください。
大阪毎日新聞社(現毎日新聞社)による点字新聞の創刊100年を記念して、オンラインイベントが開催されました(毎日新聞150年イベントの一環)。わたし自身新聞社による点字の新聞が発行されていることも知りませんでしたし、100年の歴史もあるなんてほんとうにびっくりしました。
上司が墨字(目の見える人が使う文字)の「点字毎日」を購読しており、今回ご紹介するオンライン企画を教えてもらったのです。
「墨字って?目の見える人が使う文字ってどういうこと?お習字のこと?」-ちょっと混乱しますよね。
墨字(すみじ)とは、目の見える人が日常読んだり書いたりしている活字文字のことです。購読している上司は目が見えるので活字で印刷された「点字毎日」を購読しています。「墨字」ということばもわたしは最近知りました。
オンラインイベントは、2月25日(金)19:00から配信されました。遠藤哲也編集長を司会に、視覚障害ユーチューバ―西田梓さん、点字毎日記者佐木理人さん、3人のやりとりをオンラインで視聴します。
当日のトピックスです。
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
西田梓さんは2016年から2年間「点字毎日」でエッセイを連載。子育てに奮闘される日常をブログで掲載していたところ、記者の目にとまったそうです。「全盲ママユーチューバー」というレアな肩書を持ち、日常生活のあれこれをYou tubeにアップ、総再生回数100万回を突破している注目のユーチューバーです。
「全盲ママはどうやって日常買い物をしているのか?」
「特別なんかないんだよー全盲ママの子育て」
「これが全盲ママの国内旅行の楽しみ方」 *配信動画タイトルより
目が見えない人にとっては貴重な実践的ハウツー情報であり、身近に見えない人がいない「見える」ものにとってはちょっとした異文化体験ーなのだろうな、と視聴前は思っていました。
「西田梓」(にしだあずさ)と検索する手をちょっと止めてください。目の見えない彼女がどうやってスーパーで買い物するのか少し想像してみませんか。
動画では実際にスーパーで買い物するようすを店内まで追いかけて撮影しています。特別なIT機器が必要でしょうか?流行りのVRとかARとかメタなんとか?
そんな機器は登場しません。おわかりになりましたか?
「どんなに苦労するだろう」「店内にはどれだけいろんなバリアがあるだろう」
「スーパーの通路は広くないし、危ないやんな」
勝手にあれこれ想像しながら西田さんのYou Tube動画を見たのですが…。
あまりのスムーズさに拍子抜けしてしまいました。
「そういうことか!」
お買い物の後、西田さんがサポートを受けたスーパーの店員さんにインタビューをしています。「接遇」ということ堅苦しいですが、コミュニケーションの基本や本質を教えていただいた気がしました。「障害がある」「目が見えない」ことは、西田さんの身体的な特性のひとつにすぎません。理屈ではわかっているつもりでも、わたし自身の内なる偏見に気づかせてくれた貴重な動画でした。
最近は、「いまのあなたで大丈夫!全盲ママが伝える繋がる子育ての魅力」という著作も出版されています。
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
「取材は基本ひとりで、また体験できることはできるだけ体験する」という佐木理人さんは全盲の新聞記者です。
取材先で説明されたできごと、ものに対し、「触れるものは触ってみる」「食べられものは食べる」「匂いをかぐ」と五感をフル稼働、そのことにより理解が深まって記事が書けるといいます。
「目の見える記者は写真をとって後で確認することができますが、わたしにはできません」「視覚以外の感覚で伝えることがわたしの役目です」(佐木記者)。
愛知万博の取材では「ワニステーキ」があると聞いてぜひ食べようと試食されたとか。
点字新聞は活字(墨字)版もあり取材写真も必要です。カメラも持参し構図も考えて、取材で出会った方や関係者に撮影の協力をお願いするそうです。
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
「取材を通して文章はわたし、写真はほかの記者や出会った方にお願いしともに作っています」(佐木記者)。迷ったりひるんだりせず、果敢に千載一遇のチャンスを活かされています。
100年前の「点字毎日」創刊号の現物が大切に保管され、いまも「読む」ことができるそうです。
初代編集長・中村京太郎氏は7歳で失明。点字を学び教員となったのち、盲人初の英国留学を果たした方です。
採算度外視で当時の社長の英断で刊行された「点字毎日」創刊号は、800部からスタートしたそうです。
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
「点字毎日」は創刊以来休刊せずいまも連綿と刊行が続けられています。
100年の歴史に横たわる、世界大戦や度重なる大災害を思うと驚かずにはいられません。
混乱をきわめた戦時下も終戦直後も、いちども休刊することなく「点字毎日」は発行されました。
1995年阪神淡路大震災の発災時も、被災地の視覚障害者のために「希望新聞点字版」として発行。生命維持に関わるライフライン情報を届け続けます。
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
災害時や緊急時、点字で情報を受け取った見えないひとの思いは、察するに余りあります。
オンラインイベントのなかで、点字新聞の制作工程が紹介されました。毎日新聞公式チャンネルで公開されているのでご紹介します。
「点字」ならではの製版や校正作業など、あまり知られていない貴重な作業風景です。
▼動画 「点字毎日」の製作工程を動画に 独自の「触読校正」や製本作業など収録
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
【毎日新聞】公式チャンネルより引用
日本で唯一の週刊点字新聞「点字毎日」(毎日新聞社発行)の珍しい制作工程を記録した動画(約5分)が完成しました。「点字毎日」は、目の見えない人のために1922(大正11)年に発刊。2020年夏には通巻5000号に達し、今年創刊99年になります。約1世紀の長きにわたって定期的に発行する点字新聞は世界でも類を見ないと言われ、これまでに菊池寛賞、日本記者クラブ賞特別賞などを受賞しています。
【撮影・北村隆夫、音声・社会福祉法人「日本ライトハウス」】2021年2月1日公開
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
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阪神淡路大震災発災時、佐木記者は大学2年生で一人暮らし。情報も入らず心細く無力感にさいなまれたといいます。西田さんも当時神戸市で被災し避難所生活を経験しています。当時中学1年生。身動きがとれず「見えている家族は水を運んだり、片づけたりしているのに私は動くこともできないで体育館にいました。あのときも『点字毎日』は発行していたのですね。非常時点字で情報が読めたら、心強かっただろうなと思います。」
佐木記者はのちに東日本大震災時、目の見える記者と取材に被災地へ足を運びます。
「取材先で視覚障害者の支援者にもっとたいへんなところを見てほしい、といわれ釜石まで行きました。津波で流された家、車が横転しているとか、家屋が複数潰れてさわっても境目がないとか。聞いてわかったつもりでしたが、においとか触って体感して伝える意義はあるなと思いました。」
「避難所にも行きました。災害時はとくに移動が難しい。配給の掲示をされてもわからない。トイレも使い方がわからない」
佐木記者が伝える3.11の記事は、晴眼者が見えていないことを伝えられたにちがいありません。
提供「毎日新聞社」無断転載禁止
お話を聞いていて、アクセシブルってこういうことだよなと何度も気づかされました。聞こえる聞こえない、見える見えないだけではない、「障害のある・なし」だけに関わることではないと強く実感しました。
accessibleには「利用しやすさ、近寄りやすさ」のほかに、friendlyの意も含まれています。
困りごとがあれば声をかけられるひとや環境やデバイスや社会が、手や声の届く範囲にあるという状態を形成維持すること全般が「アクセシブル」といえるのではないか思います。
「全盲ママ」の西田さんは、どうしてスーパーで買い物できるのか。
全盲の佐木記者が独自に取材する意味はなにか。
「点字毎日」は戦時下も大震災の渦中でも、なぜ刊行を続けられたのか。
西田さんも佐木記者もおふたり自身がきわめて「アクセシブル」な人であり、「点字毎日」という媒体自体が「点字」という発行形態だけでなく、内包するスピリットや哲学を含めて「アクセシブル」な媒体なのだと思います。
必要な道具で伝わる手段で、必要なときに必要な情報を必要なひとに届けるー
そのことをアステムは“Bring Accessibility”というフレーズで、会社のメインメッセージとしています。
手話と字幕の放送「目で聴くテレビ」や「アイ・ドラゴン4」の開発、そして手話通訳とリアルタイム字幕を付与したオンライン配信画面の構成と技術は、当事者団体のみなさまやクライアントのみなさまのご支援、そして技術をみがいてきた社員の努力によって今日にいたっています。
その原動力、駆動し続けてやまないエネルギーの源は阪神淡路大震災時、「被災した聴覚障害者に必要な情報が届いていない」という事実を知ったことでした。
当時困った当事者が何らかのつながりで声をかけてくださった。困っているひとの手の届くところにアステムがいた。そのときに「何とかしたい」と考え行動した当時のスタッフを心から誇りに思います。
創刊100年の「点字毎日」にならって、Astemも歩みをとめずに前進したい。わたしもアクセシブルでありたい。
そう思いを新たにさせていただいた企画でした。